ひとりごと

私が、恋をして変わりたいなって思ったお話

大事

 

私はなにかを「大事に」することができないみたい

 

大切にしようと思ったもの

「うっかり」

「気づいたら」

「いつのまにか」

蹴っちゃったり落としたりくしゃくしゃにしたり

不注意が過ぎるみたいで

ぼーっとしてるみたいで

 

傷つけたりしてしまう

いつも「あー、やっちゃった」って思って

忘れて

また「あー」って

やっちゃったあと、そんなに悲観にくれることもない

また大事なのに大事にできなかったなぁ

みたいなことはよくぼーっと思う

愛着がわかないわけじゃないと思うんだけど

「大事」であることを忘れちゃうのかな

 

心当たりはわかんない

強いて言うなら

昔大事なもの全部捨てられちゃったことかな

もう要らないと思った

また作ればいいでしょ

って

ブロックでたくさん作っても

明日続きをしようと思っても「片付け」といって壊される

全部なくなる

紙で工作して遊んでても

いつのまにかなくなってる

あとから聞いてみると捨てたって言われる

取っておくってことをさせてもらえない

 

少し大きくなってから

過剰にものが捨てられなくなった

「物持ちがいい」と言われるようになった

捨てられる恐怖にいつも苛まれてた

記憶が持たないから

何かなくなっても何がないのかわからないことはよくあった

祖母と母は捨ててしまうものの種類が違ったから

勝手にあちこち私のものも捨てられた

そもそも「私のもの」じゃないのかな

子どもの創造物は大人にとっては「得体の知れないもの」なのかもしれない

 

テレビで「子どもの頃の絵」というものを見たことがある

私の家にはそんなものは一枚もない

全部なくなった

要らなかったんだろう

知らない間に処分された

 

作ったのものを誉められたことはない

すごいねって言葉だけ

なにも感じない

工作でたくさん賞をもらった

賞を狙って作ったんじゃないけど

硬筆の書写ももらった

どっかに飾られたら見に行こうと言ってもらった

祖母が喜ぶからと母に連れられていった

芸術性というものは理解ができない

あれの何がいいんだろう

 

作るのは好きだ

スイッチが入るのは遅いけど

好きなように自由に作れる

楽しい

でも何が評価されてるのかはわからない

だんだんそういうのにもいかなくなった

 

大学に入って

絵のコンクールに作品を出してたこの話を聞いて

そんなものがあるんだ

立体の部門があったらしたかったのに

なんてことをちらっと思った

 

将来のことなにも考えずに母親のように好きなことをしていいと言われたら

私はもの作りがしたいなぁ

いつか行った組紐楽しかった

機織りも好きだった

伝統工芸が好きだ

お菓子作りもその一つ

生クリーム食べれないけど

私もしたい

でも食べていけないし

離婚したらって考えたら子どもなんてとても育てられない

だから諦めた

ただの夢

旦那さんがしっかり稼げてパートくらいの収入で暮らせるならありなのかもしれないが

理想がたかーくなっちゃうから